還暦祝いは旅行のプレゼント
還暦祝いは旅行のプレゼント
還暦祝いはいつするのでしょう?
昔は60歳というと、大変な長寿でした。 だから、還暦を迎えることは大変めでたいことだったのです。
還暦は住まれ年の干支に戻った時ですから、還暦のお祝いはお正月が一番いいのです。お誕生日ではありません。お正月は家族・親戚も集まりますし還暦祝いの絶好のタイミングです。
還暦祝いのプレゼントに旅行を!とお考えの場合には、旅行の日程はその年の内に、ということでOKでしょう。
還暦祝いには旅行のプレゼント!!

還暦とは
干支は十干と十二支の組み合わせです。
十干=甲乙丙丁戊辰己庚辛壬癸
十二支=子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
甲子に生まれた人が再び甲子の年を迎えるのに60年かかります。
それを還暦といいます。
このように還暦祝いは60年に1回の特別な時なのです。

還暦祝いは四国旅行

二宮忠八を訪ねる旅

二宮忠八は世界ではじめて、空を飛ぶことに成功するはずだった人だ。

四国旅行では、愛媛県八幡浜市を訪ねてみよう。

二宮忠八の人物像


1903年、ライト兄弟は『フライヤー号』の飛行に成功する。この時、二宮忠八はすでに『玉虫型飛行器』の機体を完成させていた。
だが、飛ぶ事は無かった、エンジンが無かったのである。

二宮忠八にエンジンを用意できる資金があったのなら、ライト兄弟に先んじて飛行に成功していたのだ。

愛媛県八幡浜市の商家に生まれた二宮忠八は、子供の頃から物理や化学に興味を持ち、この頃盛んだった凧を自作していた。
二宮忠八の凧は『忠八凧』と呼ばれ、人気があったという。

丸亀歩兵第12連隊第1大隊に入隊していた頃、カラスの滑空の様子を見て、飛行の原理を発見し、模型の飛行機の実験に成功する。

飛行機の実用化を目差して、飛行機開発を軍に上申したが受け入れられず、以後、独力で飛行機開発に没頭する。

飛行機に消極的な軍を退役し、大日本製薬株式会社に入社した二宮は、仕事に邁進し支社長にまでのぼりつめた。支社長となって飛行機開発の資金に目処が着き再び開発に着手する。

だが、12馬力のエンジン開発を開始する矢先に、ライト兄弟の『フライヤー号』が空を飛んだのである。


その後は、飛行機開発をあきらめ、製薬会社の仕事に打ち込むこととなった。

二宮忠八が書き残した設計図にもとづき復元された『玉虫型飛行器』は、1991年にエンジンを搭載して飛行に成功した。

二宮忠八の晩年は、神主となって、京都府八幡市に飛行神社を建立し、飛行機事故で亡くなった人たちの慰霊のための人生を送った。

二宮忠八ゆかりの地



本で見る二宮忠八
還暦祝いは四国の旅
タグ:二宮忠八

還暦祝いは四国旅行

坂の上の雲を訪ねる旅

坂の上の雲 ご存知の人も多いだろう、司馬遼太郎の名作である。
四国旅行では坂の上の雲の主人公たちに思いを馳せたい。

坂の上の雲は、日露戦争が舞台である。日本海海戦において、ロシアバルチック艦隊を撃破した日本帝国海軍連合艦隊の参謀 秋山真之と、その兄で、満州の陸戦で騎兵旅団を率いた秋山好古、そして、真之の友 正岡子規を主人公とした物語である。

この3人は四国松山出身であり、松山にある3人のゆかりの地を訪ねてみよう。

坂の上の雲の人物像


秋山好古は、1859年に松山藩士の三男として生まれる。

藩校の明教館で学んだ後、大阪師範学校に入学し卒業後は名古屋で小学校教師をしていたが、翌年、陸軍士官学校に入学し、陸軍へ進む事になる。

陸軍大学校を卒業後は陸軍騎兵大尉となり、フランスへ留学し騎兵戦術を学ぶ。

日清戦争を経て日露戦争では、騎兵第一旅団長として出征し、歴戦の末、奉天会戦での勝利に寄与した。
『日本騎兵の父』と呼ばれる。

陸軍大将まで登りつめ晩年は、北予中学校(現在の松山北高校)の校長を務めた。



秋山真之は好古の9歳下の弟である。

松山中学(現在の松山東高校)を中退後、東京に出て大学予備門(後の第一高等学校)に入学し、親友である正岡子規と共に、多感な学生時代を過ごす。その後、東京帝国大学に進む正岡子規とは道を別にして、海
軍兵学校に進学することとなる。

首席で海軍兵学校を卒業し、海軍軍人となった。

日露戦争では連合艦隊司令長官東郷平八郎のもと、作戦参謀を務め、日本海海戦を勝利に結びつけた功績が坂の上の雲に描写されている。

海軍中将にまで登りつめたが、49歳で病没した。


俳人として有名な正岡子規は、秋山真之の前年1867年に松山にて生まれた。

松山中学を退学し上京する。
東京大学予備門へ入学し、この時、夏目漱石と出会うこととなる。

東京帝国大学文学部に入学する前年、肺結核により喀血し、以後『子規』と号するようになる。

1892年には、退学し日本新聞社に入社する。
その後、日清戦争に記者として従軍し、日露戦争が勃発する2年前に亡くなった。

坂の上の雲ゆかりの地



子規句集

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タグ:坂の上の雲

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坂本龍馬を訪ねる旅

四国旅行では土佐を訪ねたいものです。
土佐は、坂本龍馬の生誕地!

坂本龍馬
知らない人はたぶんいないでしょう!
短い人生を、大きく輝いて散った人です。

坂本龍馬が組織した海援隊の資産は、岩崎弥太郎の手によって後の三菱財閥として開花し、船中八策は、新国家の基本構造をみごとに表したもの、いわば、坂本龍馬の遺産で日本は近代国家になったようなものか。

坂本龍馬の人物像


坂本龍馬は土佐藩の下級士族の次男として生まれ、江戸で剣術修行を行った後、土佐に帰郷、土佐勤皇党に参画したり、脱藩したり・・・・
とにかく忙しく動き回り、放浪を経て、江戸で勝海舟の弟子となります。

勝海舟が企画した神戸海軍操練所設立に尽力した後、薩摩藩の支援の下、長崎で亀山社中(海援隊)を組織し、商業で大いに儲ける。
海援隊は、現在の商社のような組織です。

薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎を仲介して、薩長同盟を実現させ、倒幕の方向へと一気に流れを変えることに成功する。

新国家の基本体制について構想を明らかにし、船中八策を提言、大政奉還に成功した後、京都市内の旅館 近江屋で、同士 中岡慎太郎とともに暗殺されました。

享年31歳でした、その翌年、徳川幕府は終焉を迎え、明治維新となります。

坂本龍馬ゆかりの地


坂本龍馬の足跡は、日本の各地に及びます。

生誕地の土佐
剣術修行の頃の江戸
亀山社中を組織した長崎
最期の舞台となった京都

訪れたいところはたくさんありますが、四国旅行では生誕地である高知市を訪ねましょう!!

還暦祝いは中国・四国の旅