四国旅行では、愛媛県八幡浜市を訪ねてみよう。
二宮忠八の人物像
1903年、ライト兄弟は『フライヤー号』の飛行に成功する。この時、二宮忠八はすでに『玉虫型飛行器』の機体を完成させていた。
だが、飛ぶ事は無かった、エンジンが無かったのである。
二宮忠八にエンジンを用意できる資金があったのなら、ライト兄弟に先んじて飛行に成功していたのだ。
愛媛県八幡浜市の商家に生まれた二宮忠八は、子供の頃から物理や化学に興味を持ち、この頃盛んだった凧を自作していた。
二宮忠八の凧は『忠八凧』と呼ばれ、人気があったという。
丸亀歩兵第12連隊第1大隊に入隊していた頃、カラスの滑空の様子を見て、飛行の原理を発見し、模型の飛行機の実験に成功する。
飛行機の実用化を目差して、飛行機開発を軍に上申したが受け入れられず、以後、独力で飛行機開発に没頭する。
飛行機に消極的な軍を退役し、大日本製薬株式会社に入社した二宮は、仕事に邁進し支社長にまでのぼりつめた。支社長となって飛行機開発の資金に目処が着き再び開発に着手する。
だが、12馬力のエンジン開発を開始する矢先に、ライト兄弟の『フライヤー号』が空を飛んだのである。
その後は、飛行機開発をあきらめ、製薬会社の仕事に打ち込むこととなった。
二宮忠八が書き残した設計図にもとづき復元された『玉虫型飛行器』は、1991年にエンジンを搭載して飛行に成功した。
二宮忠八の晩年は、神主となって、京都府八幡市に飛行神社を建立し、飛行機事故で亡くなった人たちの慰霊のための人生を送った。
二宮忠八ゆかりの地
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