還暦祝いは旅行のプレゼント
還暦祝いは旅行のプレゼント
還暦祝いはいつするのでしょう?
昔は60歳というと、大変な長寿でした。 だから、還暦を迎えることは大変めでたいことだったのです。
還暦は住まれ年の干支に戻った時ですから、還暦のお祝いはお正月が一番いいのです。お誕生日ではありません。お正月は家族・親戚も集まりますし還暦祝いの絶好のタイミングです。
還暦祝いのプレゼントに旅行を!とお考えの場合には、旅行の日程はその年の内に、ということでOKでしょう。
還暦祝いには旅行のプレゼント!!

還暦とは
干支は十干と十二支の組み合わせです。
十干=甲乙丙丁戊辰己庚辛壬癸
十二支=子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
甲子に生まれた人が再び甲子の年を迎えるのに60年かかります。
それを還暦といいます。
このように還暦祝いは60年に1回の特別な時なのです。

還暦祝いは九州旅行

夏目漱石を訪ねる旅

九州旅行で立ち寄りたい熊本
熊本は夏目漱石ゆかりの地である。

夏目漱石は『我輩は猫である』で小説家としてデビューした。
その後発表した『坊ちゃん』は、松山での教師生活が元になっている。

そんなことから、夏目漱石=松山 というイメージがあるが、実は松山では1年ほどしか生活しておらず、4年以上を暮らした熊本には、漱石の足跡が残されている。

夏目漱石の人物像


夏目漱石は明治維新の前年に江戸で生まれている。

生家は町方名主という身分で、町人と武家の特権を持っていた。明治維新後家運が傾き、四谷の古道具屋に里子に出されるが、その後、塩原家の養子となる。
塩原家では、家庭不和が絶えなく、離婚によって漱石は生家に戻る事になる。
戻ったのが9歳の時であった。

家庭環境に恵まれなかった漱石は学問に励み、東京帝国大学に入学をする。
この頃に正岡子規との出会いがあった。

大学を卒業した後は、東京高等師範学校の英語教師を勤めたが、健康面や精神面での不安がつのり、松山に移ることとなった。
松山では、現在の松山東高等学校に勤務し、この時に、正岡子規と再会をする。

松山で1年ほど生活した後、熊本県第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として赴任した。

1900年(明治33年)5月に、文部省からイギリス留学を命じられ、3年間のイギリスでの研究生活を送る事になるが、この留学は漱石にとっては、大変辛い3年間であったらしい。

帰国後は、再び東京帝国大学の講師を務めるが、神経衰弱の症状が高まっていく。

正岡子規の弟子であった高浜虚子は、漱石の神経衰弱を和らげる為に小説を書くことを奨めた。

これが、処女作『我輩は猫である』となったのである。

その後『倫敦塔』や『坊っちゃん』を立て続けに発表し、1907年(明治39年)に、教職を辞め、朝日新聞社に入社し、文豪としての道を歩む事になった。

夏目漱石ゆかりの地




還暦祝いは九州の旅
タグ:夏目漱石
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/48732521
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック