熊本は夏目漱石ゆかりの地である。
夏目漱石は『我輩は猫である』で小説家としてデビューした。
その後発表した『坊ちゃん』は、松山での教師生活が元になっている。
そんなことから、夏目漱石=松山 というイメージがあるが、実は松山では1年ほどしか生活しておらず、4年以上を暮らした熊本には、漱石の足跡が残されている。
夏目漱石の人物像
夏目漱石は明治維新の前年に江戸で生まれている。
生家は町方名主という身分で、町人と武家の特権を持っていた。明治維新後家運が傾き、四谷の古道具屋に里子に出されるが、その後、塩原家の養子となる。
塩原家では、家庭不和が絶えなく、離婚によって漱石は生家に戻る事になる。
戻ったのが9歳の時であった。
家庭環境に恵まれなかった漱石は学問に励み、東京帝国大学に入学をする。
この頃に正岡子規との出会いがあった。
大学を卒業した後は、東京高等師範学校の英語教師を勤めたが、健康面や精神面での不安がつのり、松山に移ることとなった。
松山では、現在の松山東高等学校に勤務し、この時に、正岡子規と再会をする。
松山で1年ほど生活した後、熊本県第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として赴任した。
1900年(明治33年)5月に、文部省からイギリス留学を命じられ、3年間のイギリスでの研究生活を送る事になるが、この留学は漱石にとっては、大変辛い3年間であったらしい。
帰国後は、再び東京帝国大学の講師を務めるが、神経衰弱の症状が高まっていく。
正岡子規の弟子であった高浜虚子は、漱石の神経衰弱を和らげる為に小説を書くことを奨めた。
これが、処女作『我輩は猫である』となったのである。
その後『倫敦塔』や『坊っちゃん』を立て続けに発表し、1907年(明治39年)に、教職を辞め、朝日新聞社に入社し、文豪としての道を歩む事になった。
夏目漱石ゆかりの地
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